さみしいさみしい大阪で一人暮らしのあがき

25年前、修士を終えた僕は、大学の先生の紹介で大阪住之江の牛乳会社に就職した。仕事は牛乳の品質検査と新製品開発。初任給は手取り15万円くらいで、親にはその一部でちょっとしたインテリアをプレゼント。大したものじゃなかったけど、めちゃくちゃ喜んでくれたのが嬉しかった。

毎月家に3万円入れながら、香川から大阪への通勤生活がスタート。香川では車が必需品だったけど、ここでは電車通勤。片道1時間半の通勤は、よく電車で寝てたなぁ。

1年で実家を出て、会社の近くのワンルームに引っ越し。大阪は敷金礼金が普通で、狭いユニットバス付きの4.5畳の部屋に、初期費用で貯金がほぼなくなっちゃった。50万円飛んで、月々の家賃は5、6万円。シャワーの塩素臭さや、阪神高速の排気ガスと騒音で、初めての一人暮らしは思ったより大変だった。

一人暮らしが開放的で気楽だろうと思ってたけど、結局は孤独感ばっかり。それでも仕事の内容には満足してたけどね。

大阪の中心部を自転車で散策してると、大きなマンションや団地がいっぱい。給料上がったら、こういうところに住めるのかな?と思いつつ、公園でブルーシート生活してる人や、粗大ごみをあさる人、空き缶集めて生計を立てる人たちの姿も見た。通天閣の南では、昼間からお酒を飲んでる人たちもいたな。

ある日、牛乳会社の上司が家を買ったって聞いて訪ねたら、幸せそうな家族が迎えてくれた。でも、狭くて急な階段のある家を見て、こんなところに住むのが精一杯なのかと思うと、急に悲しくなった。

当時は、同じ会社に3年は居ないとダメだとか、忍耐力がないとか言われてたけど、頑張って働いてた。香川の先輩がいた飼料会社に誘われないかなって期待してたけど、そんなうまくいかないよね。プライドが邪魔して、先輩に頼むこともできなかった。

でも、大阪の転職コンサルタントに相談して、香川の別の飼料会社に就職するチャンスを得て、大阪を脱出したんだ。

振り返ると、大阪での一人暮らしは人生で一番キツかった時期の一つだけど、その経験が今の自分を作ってると思うと、全部悪いことばかりじゃなかったかな。

テクノってやつ?( ゚Д゚)

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