今朝、出勤途中にふと足元を見たら、ガードレールが作る影がスーッと地面に伸びていてね。「あれ?この影のライン、まるで光と影が言い争いもせず、スッと線引いてるみたいだなぁ」って、なんだか不思議な気持ちになったんだよね。
影って、「光が当たらないからできるもの」でしょ?でも、それって裏を返せば、「光があるからこそ影ができる」ってことでもある。影だけを見ているつもりでも、そこにはいつだって“光の存在”がつきまとってる。見えてるのは影だけど、本質的には「光の証拠」でもあるんだよね。

光がなければ、影は生まれない🌞🌑
物体に光が当たると、その後ろ側には光が届かない部分ができて「影」になる。これは小学生の理科で習ったはずの基本。でも大人になって、日々の忙しさに流されてると、こういうシンプルな自然現象に感動することって少なくなってくるんだよね。
今日みたいに、たまたま立ち止まって影を見て「おおっ」って思える瞬間って、意外と貴重かも。だって、影が美しく見えるのは、それを作る光がちゃんと存在してるから。それって、なんだか人生にも似てるなって思ったり。
見えないところにもある“境界線”の存在🌓
ガードレールの影を見て感じたのは、「境界線」っていう感覚。光と影の分かれ目って、曖昧そうに見えて実はすごくシャープなことがあるよね。だけど、その境界がどこから始まってどこまでが光なのか、影なのか…って、よく見れば見るほど分からなくなることもある。
これって、私たちの感情とか、物事の善悪の判断にも似てる。ハッキリ白と黒って言い切れることって、実はそんなに多くない。グラデーションみたいに、じわじわ移り変わっていく。光と影の境界も、そんな“曖昧さ”を内包してるようで、なんだか哲学的な気持ちになってしまった。
影にも役割があるってことに気づいた🌒
影って聞くと、ちょっとネガティブなイメージを持ちがちじゃない?でも、影があるからこそ、光が強調されるっていう逆説的な真理もある。
たとえば、写真を撮るときに「陰影があると立体感が出る」っていうよね。全部がまっ白に照らされてたら、どこがどこだかわからなくなっちゃう。つまり、影があるからこそ、物が“存在感”を持つ。人間関係でもそう。うまくいかない時期があるからこそ、うまくいった時の喜びが大きい。
光を見たければ、影を受け入れよう🌟
人生もまた、光と影の繰り返しだよね。嬉しいこともあれば、落ち込むこともある。でもどっちかだけじゃ成り立たない。影を知ってるからこそ、光のありがたみが分かるし、逆もまた然り。
今日の影を見て思ったのは、「光と影って、対立してるようで実は“セット”なんだな」ってこと。どっちかが欠けても、世界はちゃんと見えなくなる。だから、影があるときには「お、これは光がどっかにあるってことだな」って前向きに考えてみるのもアリかもしれない。
おわりに☀️
たかがガードレールの影、されどガードレールの影。ほんの一瞬立ち止まって考えたこの“光と影の関係性”が、なんだか今日一日をやさしく照らしてくれた気がするよ。
みんなも、足元の影をちょっと見てみて。そこに、見えない“光”の存在を感じることができたら、それだけで少しだけ前向きになれるかも🌈